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アルトーメモ『神経の秤』から抜粋

2011.01.06 Thu
 「せめて人々が自分の虚無を味わうことだけでもできたら、自分の虚無のなかでよく憩うことができたなら、そしてその虚無がある種の存在ではなく、かといってまったくの死でもないとしたなら。
 もう実在しないこと、何かのなかにもう存在しないことは非常に辛いことである。ほんとうの苦しみは、思考がこころのうちで移動するのを感じることである。けれども、ひとつの点のような不動の思考はたしかに苦しみではない。
 ぼくはもはや生命に触れないそうした点にいるが、ぼくの裡には存在のあらゆる欲望と――執拗な瘙痒感がある。ぼくはもう、自分をつくりなおすという一つのことにしか専念しない。」

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アルトーメモ『冥府の臍』から抜粋

2011.01.05 Wed
 「酸っぱい、わずらわしい、刃物と同じくらい強力なある苦悶というものがあって、その四裂きの刑には地球の重みがある。身動きできない虱や固い南京虫のように締めつけられ、圧迫された深渕の句切りのような稲妻のような苦悶、精神が首をくくって、自らを切断して――自殺する苦悶というものがある。苦悶は自分に所属するものは何も消耗させず、それ自らの窒息から生まれ出る。苦悶は骨髄の凝固、精神的な火の不在、生命の循環の欠如である。
 けれども阿片による苦悶にはまた別の色彩があって、それにはあの形而上学的な傾向、アクセントのあるみごとな未完成がない。ぼくはこだまと洞穴と迷路と回路とで満たされた苦悶を想像する、よく喋る火の舌と動きまわる心の眼と理屈っぽくて暗い雷の音とで満たされた苦悶を想像する。
 けれども、ぼくはそのとき、よく自己集中してはいても無限に分割可能な、ありのままの物のように持ちはこび可能な魂を想像する。闘うと同時に同意し、あらゆる意味でその舌(言語)を回転させ、その性を多様化し――そして自殺する魂を想像する。
 糸をほぐされたほんとうの虚無、もはや器官を持たない虚無を知る必要がある。阿片の虚無は自らの裡に、暗い穴を位置づけた考える額の形のようなものを持っている。
 ぼく自身は穴の不在について語る、形も感情もない冷やかな一種の苦しみについて語る、それは筆舌につくしえない流産の衝撃のようなものだ。」

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ヘリオガバルス

2010.12.29 Wed
異教徒と我々の相違は彼らの信仰の起源には、全的創造つまり神聖と接触を保つために、人間として思考しないでおこうとする恐るべき努力が存在するところにある。『ヘリオガバルスまたは戴冠せるアナーキスト』

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