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ソンタグ『反解釈』証言と分析

2011.01.10 Mon
 証言と分析は違う。証言は、何かが起こったという事実を打ち立てる。分析はなぜ起こったのかを示す。証言は、定義としては、完璧な議論の一形式である。だが完璧性の代償として、証言は常に形式的である。そもそも初めから含まれていたものだけが、最後に到って立証されるにすぎない。ところが分析の場合は、理解の角度は常に限りなく、因果の領域も常に新たになる。分析は実体がある。分析は、定義としては常に不完全な論証の一形式である。正しく言えば、分析には終わりがない。
 一つの芸術作品がどの程度に証言の一形式としてあみ出されるものかは、もちろん、釣合の問題である。確かに、作品によっては他のものより形式に重点を置いて証言をより多く目指すものもある。だがやはり、ここが私の論じたいところだが、すべて芸術は形式なるものへ、実体なるものよりむしろ形式に違いない完璧性に、向かうものだ――優美と意匠を展開する終結部へ。心理的動機づけや社会的要因によって納得させることは二義的なものにすぎない。(シェイクスピアの芝居、特に喜劇の、信じられそうもない結末なのに観客を徹底的に満足させるあの終結の仕方を考えて見るがよい)。偉大な芸術の場合、これを窮極的に君臨支配するものは形式――あるいは、わたしがいままで名づけてきた言い方に従えば、分析よりは証言への欲求――である。終わりを可能にするものは、形式なのだ。『反解釈』

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