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アルベール・カミュについて薄々感じてたこと

2011.01.10 Mon
カミュの『異邦人』『シジフォスの神話』を読んだとき感じた違和感(カミュが唯一合理的あるいは飛躍を伴わない態度とは反抗だというときの倫理的過剰さ)は、今読んでいるS・ソンタグが『反解釈』のなかで説明していた。
そこではムルソー、カリギュラ、ジアン、クラランス、リュー博士などの登場人物は、そのものについてというより、無垢、罪、責任、ニヒリスティックな無関心という諸問題について書かれているといっているのだ。つまり人物が概念を象徴している解説的な作品がカミュの作品だということである。それゆえにカミュの作品は第一級ではないとソンタグは言う。第一級の作家カフカには、象徴的であっても想像力の自律的な作用がみられるのだ。(カミュのように人物が解説的でなく謎を秘めている)

カミュには、自己説得行為としての著作がまずある。カミュの洗練された気質が先にあるものだから、彼が実際に説いたほど心をこめて、行為したり真の歴史的選択をしたりすることが、当人には不可能であった。
しかし、カミュがそこまでして倫理的にならざるを得なかった理由があるのかもしれない。若いカミュは病気で肺の半分を切除するほどの手術をして、何度も自殺の誘惑に駆られていたし、晩年のカミュはひとり文壇で孤立して暗い作品を多く書いた。その傷つきやすさこそがカミュの倫理的作品に真実性を与えていると私は思いたい。

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